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大隈重信の憲法意見書(1881〈明治14〉年3月)

大隈重信ノ憲法意見書1881(明治14)年3

(出典:「大隈重信関係文書第四」231~246頁 日本史籍協會叢書 日本史籍協會 復刻 東京大学出版會 1984年)

 

八四一 大隈重信奏議書 明治十四年三月

 

臣謹テ按スルニ根本立テ而テ枝葉榮ヘ大綱ヲ挙テ而テ細目定ル今日

ノ政務ニ於ケル應ニ立ツベキノ根本アリ應ニ挙グベキノ大綱有リ今

ヤ廟議方ニ明治八年ノ聖勅國議院設立ノ事ニ及ブ則チ意見ヲ論述シ

テ以テ進ム垂鑒採納ヲ賜ラバ何ノ幸カ是ニ若カン臣重信誠惶誠恐頓

首謹言

   明治十四年三月

                       参議大隈重信

 

    第一 國議院開立ノ年月ヲ公布セラルベキ事

人心大ニ進テ而テ法制太夕後ルヽトキハ其弊ヤ法制ヲ暴壊ス人心猶ホ後

レテ法制太タ進ムトキハ法制國ヲ益セズ故ニ其進ム者未ダ多カラズ其後

ルヽ者稍々少キノ時ニ當リ法制ヲ改進シテ以テ人心ニ稱フハ則チ治國ノ

良図ナリ

二百三十一

二百三十二

去歳以来國議院ノ設立ヲ請願スル者少ナカラズ其人品素行ニ至テハ種々

ノ品評アリト雖モ要スルニ是等ノ人民ヲシテ斯ノ如キ請願ヲ為スニ至ラ

シムルモノハ則チ是レ人心稍ヤ将ニ進マントスルノ兆候ニシテ自餘一般

ノ人心ヲ察スルニ其後ルヽ者亦タ稀少ナラントス然ラバ則チ法制ヲ改進

シテ以テ國議院ヲ開立セラルヽノ時機稍々方ニ熟スト云フモ可ナリ

又人心稍進ミ法制稍後ルヽトキハ人心ノ注着スル所一ニ法制ノ改進ニ在

ルガ為メニ夫ノ人民ニ緊要ナル外國ニ對峙スルノ思想卜内國ヲ改良スル

ノ思想トハ殆ド其胸裏ヨリ放離シ去リ唯タ制法改革ノ一途ニ熱中セシム

ルニ至ラントス是レ亦國家ノ不利ナリ

故ニ民智ノ度位ヲ察シ國内ノ清平ヲ謀リ制法ヲ改進シテ以テ漸次立憲ノ

政ヲ布カセラルベキ聖勅ヲ決行アラセラレンコト是レ則チ今日應ニ挙グ

ベキノ大綱應ニ立ツベキノ根本ナリ請フ速ニ議院開立ノ年月日ヲ布告セ

ラレ憲法制定ノ委員ヲ定メラレ議事堂ノ創築ニ着手セラレンコトヲ(開立

ノ年月日第五條ニ詳説ス)

     第二 國人ノ輿望ヲ察シテ政府顕官ヲ任用セラルベキ事

君主ノ人物ヲ任用抜擢セラルヽハ固ヨリ國人ノ輿望ヲ察セラルベキコト

ナレドモ獨裁ノ治體ニ於テハ國人ノ輿望ヲ表示セシムルノ地所ナキガ故

ニ或ハ功績ニ察シ或ハ履行ニ求ノ其最國人ノ為メニ屬望セラルベシト叡

鑒アル人物ヲ延用シテ政務ノ顧問ニ備ヘラルヽモ是レ巳ムヲ得ザルニ出

ル者ナリ若シ政體ニ於テ國人ノ輿望ヲ表示セシムルノ地所アランニハ其

輿望ヲ察シ以テ人物ヲ任用セラルベキハ無論ナリ斯ノ如クセバ則チ撰抜

明ニ其人ヲ得テ皇室益々尊カルベシ

立憲ノ政治ニ於テ輿望ヲ表示スルノ地所ハ何ゾ國議院是也何ヲカ輿望卜

謂フ議員過半數ノ屬望是ナリ何人ヲカ輿望ノ歸スル人卜謂フ過半數ヲ形

ル政黨首領是也抑モ國議員ハ國人ノ推撰スル者ニシテ其ノ思想ヲ表示ス

ル所ナルガ故ニ其推撰ヲ被リタル議員ノ望ハ則チ國民ノ望ナリ國民過半

二百三十三

二百三十四

數ノ保持崇敬スル政黨ニシテ其領袖ト仰慕スルノ人物ハ是豈輿望ノ歸ス

ル所ニアラズヤ然ラバ則チ立憲ノ治體ニ是レ聖主ガ恰當ノ人物ヲ容易ニ

叡鑒アラセ給フベキ好地所ヲ生ズル者ニシテ獨リ鑒識拔撰ノ労ヲ免レ給

フノミナラズ國家ヲシテ常ニ康寧ノ慶福ヲ享有セシムルヲ得ベキナリ何

トナレバ斯クテ撰用セラレタル人物ハ人民参政ノ地所ナル國議院ニ於テ

過半數ヲ占有スルガ故ニ外ニハ則チ立法部ヲ左右スルノ權ヲ握リ又聖主

ノ恩寵ヲ得テ政府ニ立チ自黨ノ人物ヲ顕要ノ地ニ配布スルガ故ニ内ニハ

則チ行政ノ實權ヲ操ルヲ得ベシ是ヲ以テ内外戻ラズ庶政一源ヨリ發シ事

務始テ整頓スベケレバナリ

其政體ハ立憲ニシテ其國康寧ノ慶福ヲ享ケズ或ハ時トシテ紊擾紛亂ノ勢

態ニ至ル列國治亂ノ迹ヲ按スルニ是等ノ不幸ニ陥入スルノ病源ハ常ニ執

政者ガ其地位ヲ眷戀愛惜シテ捨テ難キト當時ノ君主ガ其寵遇ノ顕官ヲ罷

免シ能ハザルトヨリ立法部ニ於テ輿望ノ歸シタル政黨ノ首領卜行政顕官

トノ間ニ軋轢ヲ生ズルニ因ラザル者ナシ夫ノ有名ノ立憲國ナル英國ノ如

キモ千七百八十二年以前ハ則チ是ノ如キ状勢ナリシ也然レドモ積年累歳

ノ経験ヨリ同年以降ハ君主モ輿望ヲ察シテ顕官ヲ撰用シ國議院中多數政

黨ノ首領タル諸人ニ重職ヲ授與スルニ至レリ然リシヨリ以来ハ政府議院

ノ間ニ於テ軋轢ノ迹ヲ見ルコト能ハズ同國政黨ノ爭ハ常ニ議院ニ於テス

ルモ復タ政府ニ於テセザルニ至レリ

立憲政體ノ妙用ハ其實ニ在テ其形ニ存セズ立法行政司法ノ三權分離シ人

民ニ参政ノ權理ヲ附與スルニ是レ其形ナリ議院最盛ノ政黨ノ領袖タル人

物ヲ延用シテ之ヲ顕要ノ地位ニ置キ庶政ヲ一源ニ歸セシムル者ハ是レ其

實ナリ若シ其形ヲ取テ而テ共實ヲ捨テバ立憲ノ治體ハ徒ニ國家紛亂ノ端

緒ヲ啓クニ足ルノミ然ラハ則チ前述セル君主ガ人材登庸ノ責任ヨリ論ズ

ルモ一國康寧ノ政理ヨリ論ズルモ列國治亂ノ實例ニ鑑照スルモ政府ノ顕

官ニハ議院中ナル多教最盛政黨ノ領袖タル人物ヲ任用アラセラレザル可

二百三十五

二百三十六

ラズ然レドモ人智ノ薄弱ナルガ為ニ一回ハ國民ノ輿望ヲ得タル政黨モ其

施政ノ巧拙ニ因テ叉衆望ヲ失ヒ議院中ノ多數勢力却テ他ノ政黨ニ移轉ス

ルコトアルベシ是等ノ場合ニ於テハ聖主亦衆望ヲ察セラレ新勢力ヲ得タ

ル政黨中ノ人物ヨリ更ニ顕官ヲ抜撰セラレザルベカラズ議院政黨ノ盛衰

ヨリ生ズル斯ノ如キ顕官ノ更迭ハ尤モ整然タル秩序アルヲ緊要トス其新

陳交代ノ間ニ存スベキ順序ハ左ノ如クナランコトヲ要ス

内閣ヲ新ニ組織スルニ當テハ聖主ノ御親裁ヲ以テ議院中ニ多數ヲ占メタ

リト鑒識セラルヽ政黨ノ首領ヲ召サセラレ内閣ヲ組立ツペキ旨ヲ御委任

アラセラル可シ然ルトキハ是ノ内勅ヲ得タル首領ハ其政黨中ノ領袖タル

人物ヲ顕要ノ諸官ニ配置スル組立ヲ為シ然ル後公然奉勅シテ内閣ニ入ル

ベシ(内閣ノ組立ヲ委任セラルヽハ通例政黨ノ首領ヲ可トスレドモ時トシ

テ其黨中自餘ノ人ニ命ゼラルヽモ可ナリ但シ斯クノ如キ場合卜雖行政長

ハ猶其首領ナラザルベカラズ英國ニモ時トシテ此例アルヲ見ルナリ斯ク

最盛政黨ノ鑒識セラルヽノ時ニ於テハ政黨ニ関係セザル宮方或ハ三大臣

ニ顧問アラセラレンコソ可ナルベシ

内閣ヲ組立ル所ノ政黨稍議院ニ失勢スルトキハ政府ヨリ下付スル重大ナ

ル議案ハ反対黨ノ為ニ攻撃セラレテ屡バ議院中ニ廢案卜為ルベシ是レ即

チ内閣政黨失勢ノ兆候ナリ斯クノ如キトキハ庶政一源ニ出ルコト能ハザ

ルガ故ニ失勢政黨ハ是時ヲ以テ退職スルヲ常トス

斯ク失勢ノ兆候既ニ現然タル時ニ於テ其政黨勢威ニ眷戀シ猶ホ行政部ヲ

去ラザル時決議ヲ為サン事ヲ動議スベシ是ノ動議ニ従ヒ處決シテ而シテ

失信用ナリト決スル時ハ議院ヨリ聖主ニ對シ内閣既ニ信用ヲ議院ニ失フ

速ニ親裁更撰アルベキ旨ヲ請願スベシ失勢政黨猶ホ退職セザルトキハ聖

主ハ議院ノ求メニ應ゼラレ之ヲ罷免セラルベシ(英國等ノ例ニ因リ失勢ノ

兆候現ハレシト同時ニ退職スルヲ例トスベシ)

然レドモ執政政黨既ニ議院ニ失勢ノ兆ヲ現ハシ失信用ノ議決ヲ受ケント

二百三十七

二百三十八

欲スルニ臨ムトモ若シ廣ク國人ノ意想ヲ察シ其實ニ我ガ政黨ノ多數ノ属

望アルヲ洞識シ現在ノ國議員ハ誤撰ナリト認ムルトキハ聖主ノ允許ヲ蒙

リ聖主ニ特有シ玉フ議員解散ノ權ヲ以テ直チニ是レヲ解散シ其改撰議員

ニ於テ我政黨ノ多數ナランコトヲ望ムベシ若シ多數ナラバ内閣ヲ永続セ

ン若シ少數タランニハ則チ退職セザルベカラズ是ノ解散權ハ則各政黨ガ

最後ノ依頼卜云フモ可ナリ(是權ハ最モ濫用ヲ慎ムベシ濫用スレバ大害ヲ

醸ス英國ノ如キモ是例ハ両三回ニ過ギズ)以上政黨更迭ノ順序ハ大抵英國

ノ例ニ依ルモノナリ

     第三 政黨官卜永久官ヲ分別スル事

前述スルガ如ク政黨ノ盛衰ヨリ顕官吏迭ヲ生ズルノ時ニ方リ其更迭ハ全

部ニ及ブベキヤ将タ幾分ニ止ルベキヤハ則チ重要ナル疑問ナリ凡ソ諸般

ノ事務ハ最モ習熟ヲ要ス加フルニ官衙ノ事ノ如キ其細瑣ノ條件ハ多ハ舊

法古例ニ参照スルガ故ニ最少ノ費額ヲ以テ淹滞ナク最多ノ事ヲ辨ゼント

欲スルニハ属僚下吏ノ永続勤務ヲ以テ最モ緊要ナリトス然ルニ是等ノ官

吏ヲシテ常ニ政黨卜更迭ヲ與ニセシメバ其不利益蓋シ言フ可ラザル者ア

ラン且幾萬ノ官吏其進退ヲ政黨ノ盛衰ニ緊ゲバ各派軋轢ノ勢轉暴激ヲ極

ムルニ至ラン故ニ官吏中ニ於テ其職指命ヲ司テ細務ヲ親報セザル者卜指

命ニ服事シテ細務ヲ親執スル者トヲ区別シ甲ヲ政黨官トシテ政黨卜共ニ

進退シ乙ヲ永久官則チ非改黨官トシテ終身勤続ノ者タラシムベシ又上等

官人ノ中ニ於テ其地位重職ニ在リト雖モ一國ノ治安公平ヲ保持スル為ニ

政黨ニ関与セシムベカラザル者有リ是等ヲバ中立永久官トナシ一種ノ終

身官トナスベシ(英國ノ例ニ由ル)

政黨官ノ種類ヲ略記スレバ参議各省卿輔及諸局長侍講侍従長等是ナリ以

上ノ政黨官ハ大概議員トシテ上下院ニ列席スルヲ得ル者トス(大抵英國ノ

例ニ依ル)政黨官及非政黨官ノ別ハ憲法制定ノ時ニ於テ猶ホ評議ヲ要スル

ガ故ニ今唯大要ヲ掲グ(以下亦同ジ)永久官ノ種類ハ各官廳ノ長次局長ヲ除

二百三十九

二百四十

テ以下ノ奏任官及属官等是ナリ是等ノ官人ハ議員タルヲ得ザル者トス(同

例)

中立永久官ハ三大臣(政黨ニ関與セズ聖主ヲ輔佐シ奉リ内閣組立ノ為メ最

盛政黨ニ内勅ヲ下サルヽ等ニ於テ顧問ニ備リ公平ニ國益ヲ慮ラレンガ為

メ其非政黨官タラン事ヲ望ム且大臣ハ三位卜與ニ無人則闕ノ官ト定メラ

レテ可ナルベシ)及ビ軍官警視官法官是ナリ以上三種ノ職ハ皆國内ノ治安

公平ヲ保持スルニ在ルガ故ニ其公平中立ノ令德ヲ備ヘン事ヲ欲スベシ若

シ是等ノ官人ニシテ熱心政黨ニ関與セバ他黨ヲ壓スルガ為メニ或ハ兵力

或ハ裁判權ヲ用ヒ國内ノ治安ヲ妨ゲ或ハ其公平ヲ失シ社會ノ騒亂ヲ醸生

スルニ至ル是其中立不偏ヲ以テ命德卜看倣ス所以ナリ以上ノ官人モ亦議

員タルヲ許サザル者トス(同例)

又永久官則チ非政黨官ニシテ政黨ニ干與スルノ迹アレバ其主張タル者之

ヲ退職セシメテ可ナリ何トナレバ政黨官タル主張トノ関繋ニ於テ公事ニ

不利ナル事多ケレバナリ(同例)

      第四 宸裁ヲ以テ憲法ヲ制定セラルベキ事

法規已ニ立チ而シテ人之ニ依ルトキハ事輙ク定ル定規未ダ立タズシテ而

テ人先ヅ集ルトキハ事動テ定マラズ今ヤ無前ノ治體ヲ天下ニ施サレント

欲スルニ當リ其完成ニ緊要ナルハ社會康寧ノ秩序ナリ轡策一タビ絶ユル

トキハ六馬奔逸シテ秩序容易ニ収復スベカラズ故ニ先ヅ宸裁ヲ以テ憲法

ヲ制定セラレ是ニ依而以テ國議員ヲ招集セラレン事ヲ欲ス右憲法ノ制定

ニ付テハ内閣ニ於テ委員ヲ定メラレ速ニ着手セラレンコトヲ糞望ス

憲法ノ制定ハ重要ナル條件ニシテ就中上院ノ組織下議員ノ撰挙權被撰挙

權等ニ至ッテハ最深密ノ用意ヲ要ス是等ノ諸件ハ憲法制定ノ日ニ上陳ス

ベキガ故ニ今是處ニ贅言セズ

前述スルガ如ク立憲治體ノ妙用ハ多ク其實ニ存スルガ故ニ憲法ハ極メテ

簡短ニシテ大綱ニ止マラン事ヲ要ス叉憲法ハ二様ノ性質ヲ具備センコト

二百四十一

二百四十二

ヲ要ス二様トハ何ゾ其第一種ハ治國政權ノ歸スル處ヲ明ニスル者ナリ其

第二種ハ人民各自ノ人權ヲ明ニスル者ナリ政義ノ政行ハレテ而シテ人權

ヲ堅固ニスルノ憲章ニアラズンバ其間言フ可カラザルノ弊害アラン是レ

則チ人權ヲ詳明スルノ憲章ヲ憲法ニ添付セント欲スル所以ナリ

      第五 明治十五年末ニ議員ヲ撰擧セシメ十六年首ヲ以テ

         國議院ヲ開カルベキ事

立憲政治ノ眞體ハ政黨ノ政タルガ故ニ立法行制ノ両部ヲ一體タラシメ庶

政一源ニ歸スルノ好結果ヲ得ルニ至ルハ已ニ前述スル所ナリ之ヲ畢竟ス

ルニ立憲ノ政ハ社會ノ秩序ヲ紊ラズシテ國民ノ思想ヲ平穏ニ表示セシム

ルニ在リ然ルニ全國内政黨無キノ時ニ於テ卒然國議院ヲ開放セバ假令一

朝幾多ノ政黨ヲ生出スベキモ其根本堅固ナラズ一般人民モ亦何レノ政黨

ハ如何ナル主義ナルヤ知ル能ハズシテ政黨ノ勢威頻々浮沈スルコト多カ

ラン果シテ然ラバ其混亂紛擾ノ惨憺ヲ政治上ニ現出シ夫ノ社會ノ秩序ヲ

保持スルノ治具ニ依テ却テ之ヲ紊亂スルノ恐アリ戒愼セザルベケンヤ政

黨ノ峙立セザルハ蓋シ之ヲ生ズル地所ナケレバナリ然レドモ立憲ノ治體

ヲ定メラルヽヲ公示セバ政黨ノ萌芽ヲ発生スルコト應ニ速ナルベシ斯シ

テ一歳若クハ一歳半ノ年月ヲ経過スルヲ許サバ各政黨ノ持説大ニ世間ニ

現レ國人モ亦甲乙彼此ノ得失ヲ判定シテ各自ニ其流派ヲ立ツルニ至ラン

是ノ時ニ於テ議員ヲ撰擧シ議院ヲ開立セバ能ク政令ノ秩序ヲ保持シテ立

憲治體ノ眞利ヲ収メ得ベシ故ニ議員開立ノ布告ハ太タ速カナラン事ヲ要

ス開立ノ時期ハ卒然急遽ナルベカラズ是等ノ事理ニ因テ考案スレバ本年

ヲ以テ憲法ヲ制定セラレ十五年首若シクハ本年末ニ於テ之ヲ公布シ十五

年末ニ議員ヲ召集シ十六年首ヲ以テ始メテ開立ノ期卜定メラレンコトヲ

冀望ス斯ノ如クンバ以テ大過ナカルベキヲ信ズルナリ

      第六 施政ノ主義ヲ定メラルベキ事

凡ソ政黨ハ幾多ノ源因ヨリ成立ス卜雖モ亦専ラ施政主義ノ大體ヲ同クス

二百四十三

二百四十四

ルヲ以テ相結集スル者ナリ而テ政黨ノ盛衰ヲ致ス所以ノ者ハ則チ其施政

主義ガ人心ヲ得ルト否ヤトニアリ叉各政黨ガ互ニ人心ヲ得ンコトヲ望ミ

相攻撃スル所ノ點モ亦各自ノ主張スル施政主義二在リ故ニ政黨ノ爭ハ則

チ施政ノ爭ニシテ其勝敗ハ則チ施政主義ノ勝敗ナリ前述スルガ如ク立憲

ノ治體定立セラレ國人ノ輿望ヲ察シテ政府ノ顕官ヲ任用セラルヽニ至ル

トキハ則チ政黨成立セザルベカラズ政黨ヲ成立セント欲スルトキハ則チ

其持張スル施政ノ主義ヲ定メザルベカラズ故ニ現内閣ヲシテ一流ノ政黨

ヲ形ル者タラシメント欲セバ其成立ニ最緊要タルハ則チ施政ノ主義ヲ定

ムルノ一事ナリ然ルガ故ニ國議院設立ノ年月ヲ公布セラルヽノ後ニ於テ

直ニ現在内閣ノ施政主義ヲ定メラレン事ヲ切望ス施政主義ニ就テハ重信

所見ノ在ルアリ他日別ニ之ヲ具陳スベシ

      第七 總 論

立憲ノ政ハ政黨ノ政ナリ政黨ノ爭ハ主義ノ爭ナリ故ニ其主義過半數ノ保

持スル所ト為レバ其政黨政柄ヲ得ベク之ニ反スレバ政柄ヲ失フベシ是レ

即チ立憲ノ眞政ニシテ又眞利ノ在ル所也若シ其形體ニ則リテ而テ其眞精

ヲ捨テバ獨リ國土ノ不幸ノミナラス蓋シ又執政者ノ禍患ナリ啻ニ執政者

黨時ノ禍患ナルノミナラズ其戀權ノ汚名ヲ後世ニ遺傳スルニ至ラン

假令純潔清白ノ心事ヲ以テ政ヲ天下ニ行フモ尚ホ或ハ戀權自利ノ心アル

ヲ疑ハルヽハ是レ執政者ノ病患也然ルニ今ヤ立憲ノ政ヲ施サントスルノ

時ニ當リ立憲國現行ノ通則ニ反シ其眞利ヲ拾テヽ而テ却テ戀權ノ痕ヲ現

サバ執政者ニシテ焉ゾ國人ノ為ニ厭忌セラレザルヲ得ンヤ況ンヤ其戀權

ハ却テ速カニ失權ノ種タルヲヤ

然リト雖モ權勢ヲ棄却スルハ古ヨリ人情ノ難ズル所ニシテ惟國家ヲ利ス

ルニ熱渇スル者獨リ能ク之ヲナス政府ニ強大ノ威力ヲ蓄スル今日ノ執政

者ニシテ勢威ニ眷戀セズ立憲政治ノ眞體ヲ固定セバ其德ヲ後昆ニ表示ス

ルニ足ラン又假令社會ノ毀誉ニ関セザルモ亦自ラ顧テ以テ中心ニ快然タ

二百四十五

二百四十六

ルヲ得ン

世人常ニ曰フ邦國ノ治亂ハ多ク政治ノ慣習ニ生ズト果シテ然ラバ社會ノ

秩序ヲ紊サズシテ静穏ナル政黨更迭ノ新例ヲ定立シ政治上ニ於テ國人ニ

康寧ヲ慶享セシムルノ端緒ヲ啓カンコト是豈ニ今日ノ執政者ガ應為ノ急

務ニアラズヤ右謹デ議ス


【備考】 是より先、明治天皇衆参議に命じ、立憲政治に関する意見を録上せしむ、衆参議多くこれを上るも、重信未だ上らず、天皇左大臣熾仁親王に勅してこれを促さしめたまふ、重信答て曰く、臣は衆参議を御前に召させらるゝの時に於て、親しく意見を上言せんと欲す、文書は啻に意を尽さゞるのみならず、或は外に漏泄する恐ありと、親王これを奏す、天皇聽したまはず、重信遂に意見を録し、親王に由りて上る、重信請て曰く、殿下これを奏覽せざるの前に於て、大臣参議等に示すなかれと、親王これ諾す、この書即ちこれにして、世に大隈参議の密奏書として傳はるものなり、密奏の名固より當らず、後熾仁親王これを三條岩倉に示し、続いて伊藤博文に傳はる、博文重信の巳に諮らずして、秘かに急進意見か奏せしを怒り、その官を辞せんとす、熾仁親王、三條、岩倉等憂慮措かず、百方博文を慰撫し、重信との和解に力む、博文意漸く解く、次にこれ等関係文書を掲

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