つぶやきと論稿(2)明治初期大阪の民事裁判の一事例 ――「合商違約ノ詞訟」・「民事判決原本データベース」から―― 岩村 等 はじめに (一)本稿は、国際日本文化センターの民事判決原本データベースに収録されている明治初期の大阪の裁判資料を紹介するものである。国際日本文化センターの民事判決原本データベースとは、各地の裁判所に保管されていた民事判決原本のうち、明治初年から明治二三年までの判決原本を撮影して画像化し、あわせて項目別に検索できるようにした公開のデータベースである。このデータベースは既に運用されており、明治初期の裁判研究に大きな可能性を提供するものとなっている。 民事判決原本データベースが示すものは、明治初期の裁判の実態にとどまらないと考えている。むしろ、民事判決原本は、明治初期の社会の様々な局面の実相、それも重要な局面の実相を示しているのではないかと筆者は考えているが、これは多くの研究者が既に共有されていることであろう。ペリー来航から西南戦争くらいまでの日本歴史は、政治・経済・文化・社会のあらゆる局面において激動の時代であった。このような激動の時代に、時代を生きる人々の多種多様な社会生活が存在したのである。 以上のような理由によって、本稿では、明治初期の大阪裁判所の一つの裁判事例を紹介しようと考えている。紹介の内容としては、①裁判事例の概要と解説、②裁判資料の原本、③現代語訳の三本の柱だてにしたいと考えている。なお、本稿で掲載する資料の一部は、國井和郎氏によって『図説判決原本の遺産』一〇頁で紹介されていることを付記しておく。 (二)林屋礼二氏が『明治期民事裁判の近代化』において、明治初期の民事訴訟手続の変化の様相について簡潔に述べておられるので以下に引用しておきたい。 「明治初期の民事訴訟手続は、基本的には徳川期からの訴訟手続を受け継ぐものであった。しかし、徳川期の訴訟手続は封建社会のそれであったから、明治政府は、諸外国との間での不平等条約を平等条約に改めるために日本を法治国家とする必要上、訴訟手続の近代化をはからねばならなかった。そこで、フランスからジョルジュ・ブスケ(Georges Bousquet )や、ギュスターヴ・ボアソナード( Gustave Boissonade )などを招いて、とくにフランスの訴訟制度からの影響のもとに、対等主義・口頭主義・直接主義・公開主義による訴訟手続の近代化を試みた。 すなわち、従来の白州における身分的着座方式を改めて当事者を平等とし、裁判の傍聴を認め、また、対審(口頭弁論)による審理方式を採り入れるとともに、審理をした裁判官自身が判決を行なうものとする方向への努力がなされた。さらに、明法寮や司法省法学校を設けて裁判官を養成し、フランスの民事訴訟から当事者主義・自由心証主義・判決理由の明示原則などの近代的民事訴訟原理の導入にも努めた。しかし、当時は統一した民事訴訟法典はなく、裁判官のなかにも、明法寮や司法省法学校の出身者とならんで、旧時代からの訴訟手続になじんだ裁判官が多数存在したから、訴訟手続も一様にはいかなかった。 このような状況ではあったが、徳川期からの訴訟手続が、フランスの裁判制度や民事訴訟からの影響を受けつつ、近代的な訴訟様式をしだいに摂取していったというのが、明治前期の民事訴訟手続の様相であったといえる。なお、明治八年に、三審制を採る裁判所制度が創設されたことから、明治維新によって日本の社会に生じたいろいろな民事の紛争事件が一挙に裁判所へ持ちだされた。その結果、民事訴訟の新受件数が三二万件にも上昇したが、その後は、日本の経済社会の変動に応じて、新受件数の増減をみるようになっている。」(林屋礼二『明治期民事裁判の近代化』東北大学出版会、二〇〇六年、四二頁) (三)この時期の民事手続きをめぐる大状況としては、紹介する事例の初審から控訴審の判決の間に、司法制度上のさらに大きな変化があった。すなわち、明治八年五月二四日に大審院諸裁判所職制章程が制定公布され、司法と行政の分離および裁判所制度の整備が一層進行したのである。また民事訴訟手続にも大きな変化があった。同年二月三日には、訴状に第三者の連印を要する制度は原則として廃止された(太政官第一三号布告)。同年二月二二日の太政官第三〇号布告は「民事訴訟審判ノ儀、人民一般傍聴差許候条、此旨布告候事、但男女ノ間ニ起リシ風儀ニ関スル訴訟ハ此限ニアラズ」と定めて、民事訴訟の一般公開が許可されたのである。その手続については、同年四月四日各裁判所傍聴規則(司法省甲二号)は、傍聴を望む者は裁判所庶務課へ名刺(住所氏名)を出して、その許可を得てのち、訟廷に出るべきものとした。外国人の傍聴は同年四月九日(司法省番外)に許された。二月二七日の司法省甲第一号布達は、年月日のいずれかを欠くのは年月日の先後を確定する証拠とならないだけで、訴は取上げることにした。 四月一七日には、身代限配当の順序について、無担保の債権者の間では平等主義を採ることになった(司法省指令【「司法省日誌」一六巻一五四頁】)。 四月二〇日には、連帯債務で、連印者が各自の分借分を不記載あるいは分借を証明できない分は、失踪あるいは相続人なき死亡の連印者を除く連印者に、借用金銀その他の総額を申付けることとした(太政官第六三号布告)。 五月一八日には、諸品売買取引心得方定書が廃止され書式が自由化された(太政官第八七号布告)。もっとも、訴訟手続における書面主義は維持された。 五月二四日には、控訴上告手続(太政官第九三号布告)が制定され、控訴上告の条件・諸手続を規定した(民事上告金〈預け金〉など)。 また、九月八日には勧解制度が新設された(東京裁判支庁管轄区分並取扱仮規則、司法省布達番外)。 (四)民事判決原本データベースの書誌項目一覧は以下の通りであり、これらの項目が検索項目となっている。 【保管裁判所】原本が保管されていた裁判所名 【簿冊表紙】 簿冊の表紙に記載されている表題 【簿冊番号】 保管大学が管理するために個々の原本に対して付与した八桁の番号 【表題】 文書の冒頭に記述されている文言(文書表題)で、その文書の種類を表す 【事件番号】 裁判所が受理した事件に対して付した番号で、元号を西暦に標準化し、番号部分を 5 桁の算用 数字に置き換えている 【事件名】 訴えの趣旨及び命令の内容 【原告】 訴訟を起こした側の当事者 【原告代理人】原告の代わりに本人のために法的行為を行う者 【被告】 訴えられた側の当事者 【被告代理人】被告の代わりに本人のために法的行為を行う者 【訴訟関係人】当事者及びその代理人以外の者で、その訴訟に関わっている者 【裁判官】 当該事案の判断に関わったすべての裁判所関係者 【裁判年月日】裁判が言い渡された日(起案日、競売日なども含む) 元号を西暦に変え、月日は 4 桁の数字で表す(例:18881204 ) 【判決裁判所】判決を言い渡した裁判所 【備考】 審級の異なる情報、絵図袋の情報、執行文付与等、上記の項目のどれにも入らない情報 【人名】 【原告】から【裁判官】までの全人名を検索 (五)明治初期の民事裁判に関する法制的な事項と民事判決原本データについての主要な参考文献は以下の通りである。 林屋礼二『明治期民事裁判の近代化』(東北大学出版会、二〇〇六年) 瀧川叡一『日本裁判制度史論考』(信山社出版、一九九一年) 同 『明治初期民事訴訟の研究』(信山社出版、二〇〇一年) 石井良助(開国百年記念文化事業会編)『明治文化史2(法制編)』(洋々社、一九五四年) 林屋礼二ほか編『図説 判決原本の遺産』(信山社出版、一九九八年) 林家礼二ほか編『明治前期の法と裁判』(信山社出版、二〇〇三年) 林家礼二ほか 『統計から見た明治期の民事裁判』(信山社出版、二〇〇五年) 二 資料の概要 (一)裁判事例の書誌情報 今回紹介する事例は、合計して五個の資料でひとまとまりの一件となっている事例である。以下に各資料の書誌情報を掲載する。書誌情報は、国際日本文化センター民事判決原本データベースの検索項目によって整理した。 資料A 保管裁判所 (2010)大阪地方裁判所 簿冊表紙 (簿冊表紙)明治八年 裁決書原本 民事第一審判決原本 一号 大阪地方裁判所 簿冊番号 20100001 簿冊内番号 3 表題 裁決書 事件番号 一八七四年(民)00004号 事件名 合商違約ノ詞訟 原告 [原告]元北海産物商社 [惣代]西大組第十一区立売堀商:X1 [原告]薩摩堀商:X2 第七区靭上通商:X3 商:X4 原告代理人 [代人]X5 X6 [代言人]今橋通寄留小倉県士族:瀬川正治 今橋通寄留京都府士族:芝耕 造 [原告代書人]田村長久 被告 [被告]開商社 [惣代]東大組第十六区備後町商:Y1 第十三区北浜通商:Y2 第十五区道修町商: Y3 被告代理人 [代言人]商:太田正助 [被告代書人]袖山益衛 訴訟関係人 裁判官 南部甕男 木村憲章 武知半平 裁判年月日 一八七四一二一五 判決裁判所 大坂裁判所 備考 関連文書(簿冊内番号) 資料B 保管裁判所 (2010)大阪地方裁判所 簿冊表紙 (簿冊表紙)明治八年 裁決書原本 民事第一審判決原本 一号 大阪地方裁判所 簿冊番号 20100001 簿冊内番号 4 表題 裁決書 事件番号 一八七四年(民)00004号 事件名 貸金並年賦金ノ詞訟 原告 [原告]開商社 [惣代]東大組第十六区備後町商:Y1 北大組第十区老松町商:Y4 原告代理人 [代言人]士族:宮下幸玄 [原告代書人]吉田暁之助 被告 [被告]元北海産物商社 [惣代]西大組第十区立売堀商:X5 第七区靭上通商:X3 薩摩堀商:X 4 被告代理人 [被告代書人]北田正董 訴訟関係人 裁判官 南部甕男 木村憲章 武知半平 裁判年月日 一八七四1215 判決裁判所 大坂裁判所 備考 関連文書(簿冊内番号) 資料C 保管裁判所 (2010)大阪地方裁判所 簿冊表紙 (簿冊表紙)明治八年 裁決書原本 民事第一審判決原本 一号 大阪地方裁判所 簿冊番号 20100001 簿冊内番号 5 表題 開商社ヨリ元北海産物商社ヘ掛ル貸金並年賦金計算書 事件番号 04431号 事件名 貸金並年賦金計算書 原告 開商社 原告代理人 被告 元北海産物商社 被告代理人 訴訟関係人 裁判官 裁判年月日 判決裁判所 備考 関連文書(簿冊内番号) 4 資料D 保管裁判所 (2010)大阪地方裁判所 簿冊表紙 (簿冊表紙)明治八年 裁決書原本 民事第一審判決原本 一号 大阪地方裁判所 簿冊番号 20100001 簿冊内番号 6 表題 裁決書 事件番号 事件名 合商違約ノ控訴 原告 [原告]元北海産物商社 [総代]大坂立売堀:X1 [原告]薩摩堀:X6 靭上通:X3 X4 原告代理人 [原告代言人]士族:瀬川正治 被告 [被告]大坂北浜町:Y2 道修町:Y3 [代兼]備後町:Y1 被告代理人 [被告代言人]士族:宮下幸玄 訴訟関係人 裁判官 岩村通俊 桜井直義 中沢興哉 裁判年月日 一八七五1118 判決裁判所 大阪上等裁判所 備考 関連文書(簿冊内番号) 資料E 保管裁判所 (2010)大阪地方裁判所 簿冊表紙 (簿冊表紙)明治八年 裁決書原本 民事第一審判決原本 一号 大阪地方裁判所 簿冊番号 20100001 簿冊内番号 7 表題 裁決書 事件番号 事件名 貸金催促ノ控訴 原告 [原告]北海物産商社 [総代]大坂立売堀商:X1 薩摩堀商:X6 靭上通商:X3 商:X4 原告代理人 [原告代言人]士族:芝耕造 被告 [被告]開商社 [総代]大坂北浜通商:Y2 道修町商:Y3 [代兼]備後町 商:Y1 被告代理人 [被告代言人]士族:宮下幸玄 訴訟関係人 裁判官 岩村通俊 桜井直義 中沢興哉 裁判年月日 一八七五1118 判決裁判所 大阪上裁判所 備考 関連文書(簿冊内番号) (二)裁判事例の概要と解説 訴えの内容 北海産物商社(原告)の申出により北海産物商社と通商会社(被告、現在の開商社)は、明治二年一〇月中(一八六九年の一〇月から一一月にかけて)、合商(業務提携)についての協議を行った。協議の結果、通商会社より北海産物商社に資本金を提供し、また、現場視察のため通商会社頭取であるY1(被告)が北海産物商社(原告)に出張した。明治二年一一月九日から一五日(一八六九年一二月一一日から一七日)まで、高井の捨印が北海産物商社の当座帳に捺印された。その後北海産物商社・通商会社の合商(業務提携)による事業は行き詰まり、この事業の清算をめぐって紛争が発生した。そこで、北海産物商社は、開商社(通商会社の現在名)を相手取り、合商の成立を前提として合商約定書をもとに損益計算にもとづいて被告も損益の配分に参加せよと請求して、合商違約の訴を提起した(資料A)。 一方、開商社は、資本金は北海産物商社に対する貸金であるとして、北海産物商社に対し貸金の残金返還を請求して、貸金並年賦金催促の訴を提起した(資料B)。 これら二つの訴訟の論点は、①合商(業務提携)の合意の成立の有無、②合意が成立したとして、合意の有効期間、③開商社(通商会社)による資本金の当初の提供が原告への貸金に転化したかどうか、であった。これらの論点について、個々の事実関係の評価をめぐって原被間で争いがあった。 以上の論点について、初審である大阪裁判所は、一八七四(明治七)年一二月一五日に裁決を下し、上記の二つの裁判について、いずれも原告に有利に判断した。しかし、合商違約の訴(資料A)では、合商の合意の成立は認められたけれども有効期間の特定はなかった。また、合商の損益計算について「被告(通商会社)の捨印がない部分について計算の証拠にしてはならない」とした。そこで、北海産物商社は、自らが原告であった合商違約の裁判の結果については合商の有効期間と損益配分への開商社の参加について、被告となった貸金並年賦金催促の裁判の結果については結果そのものを不服として、大阪上等裁判所に控訴した。大阪上等裁判所は一八七五(明治八)年一一月一八日に裁決を下し、合商の有効期間については初審の判断を変更して明治五年五月まで継続したと特定し、また、貸金催促の件については初審の判断を維持した。 以下において、各裁判の内容についてより詳しく説明する。 大坂裁判所(初審)の裁決と各論点についての判断は以下の通りである。 (1)合商違約の訴(北海産物商社から開商社への訴え)について(資料A) 結論 北海産物商社(原告)と通商会社(被告、現在名は開商社)の間に合商(業務提携)の合意があったと判断した。したがって、合商約定書によって利益損失とも双方立会の上計算して、両社で配分しなければならない。ただし、通商会社の捨印がある部分についてのみ計算の証拠とした。 各論点についての判断 ①両社合商の合意を記した約定書を北海産物商社より通商会社(現開商社)が受け取り、通商会社より書面の 通相違ない旨の証書を渡した上は合商の合意が成立したことは明白である。 ② 金銭取渡通帳に北海産物商社と通商会社の金錢授受の明細を記載しているのは、約定書に記した所の金銭出 入は通帳で取渡をするとの約を実行したということである。 ③ 当座帳に被告の捨印があるのは約定書に記載されている通商会社中より一名宛出張して帳面の取調をすると いう約を実行したので、通商会社が試しに帳面に捨印をしたという主張は信用しない。 ④ 金銭授受の約束と帳面取調の約束とを執行したことは、合商の約束を遂行したことを示している。 ⑤ 帳簿取調は通商会社の義務であるから、明治二年一一月一五日に至って取り調べを止めたのは通商会社の義 務の不履行である。それゆえ、以後の捨印がないことをもって合商でない証拠とすることはできない。 ⑥ 当座帳への捨印は停止したけれども、金銭の授受は一一月一七日以後も依然として通帳で取引しているので、被告が損益配分に関係するとの約束を断わったという主張は信用しない。 ⑦ 合商約定書を通商会社が受け取った際に押印した証書を北海産物商社に渡したのであるから、受取の証書を 通商会社の側で北海産物商社から受け取っておかなければならないのに、このような証書がないので、右約定 書を原告に返却した旨の被告の主張は信用しない。 ⑧ 約定書を返却しなかったのであるから、合商の契約を解除しなかったことは明白である。 ⑨ 通商司より北海産物商社に下付したる通商会社附属云々の達書は、合商の直接の証拠とはならないけれども、北海産物商社は通商会社の附属であることは明瞭であるから、通商会社と無関係とは言い難い。 ⑩ 合商中の損益清算は北海産物商社のみの単独責任ではない。両社が立ち合い計算しなければならないのであ るから、本年に至るまで北海産物商社より損益配分を受けなかったことで被告が合商しなかった証拠であると の主張は信用しない。 ⑪通商会社は、原告から受領した口上書に御承知の損金償の一部にあてることができます云々の文辞があるの で、損金は北海産物商社がすべて引き受けたことが明瞭であると主張する。けれども、右口上書は貸金につい ての書面で、かつ損金償いの一部にもできるということだけを挙げて直に合商中の損金はすべて北海産物商社 が引き受けたとの証拠とはならない。 (2)貸金並年賦金催促の訴(開商社から北海産物商社への訴え)について(資料B) 結論 北海産物商社の主張は成立しがたい。よって合商中の利益損失とは無関係に借用証文および年賦証文によって滞金高元利共に身元金を差し引いた上で、北海産物商社より開商社に償還しなければならない。 理由 右金子は金銭取渡通帳に記載されている通り、各々利息を付加し返済の期限を定め通商会社より北海産物商社へ借り受けし後、内金を順次に返済し、残額について借用証文および年賦証文に改めた。そうであるならば、もともとは両社合商の財本に使用した金子であるとしても、自然の成り行きとして、開商社が債主の権利をもち、北海産物商社が返済の義務を負うことになる。 (3)貸金および年賦の計算書(資料C) 上記二つの裁判の結果により以下の計算書が作成された。 開商社より元北海産物商社に掛る貸金計算書 一 元金 弐萬弐千圓 明治四年二月貸 一 利金 三千六百三十圓 同年同月より同年十二月まで十一ヶ月分 〆 金 弐萬五千六百三十圓 内金八千八百三十圓 同四年四月より同年十二月迄元利金の内に入 残元金壱萬六千八百圓 同四年十二月晦日立会勘定詰 一 利金 八千六百九十四圓 同四年正月より本年十二月十五日迄三十四ヶ月と十五日分 元利合金 弐萬五千四百九十四圓 同年賦計算書 一 元金 六千圓 明治四年二月貸 一 利金 千九百八十圓 同年同月より同五年十一月迄二十二ヶ月分 〆 金 七千九百八十圓 内金丗一圓八十九銭三厘 同五年二月より同年十一月迄元金の内に入れる 残元金五千六十八圓十銭七厘 一 利金 千七百八十六圓五十銭七厘九毛 同六年一月より本年本月十五日迄二十三ヶ月と十五日分 二ヶ口利金 〆三千七百六十六圓五十銭七厘九毛 元利合金 八千八百三十四圓六十壱銭四厘九毛 内 金弐千四百圓 元金期限内に付除く 残金六千四百三十四圓六十壱銭四厘九毛 総計金 三萬千九百弐十八圓六十一銭四厘九毛 貸金ならびに年賦金滞り高 内金三千圓 同四年十二月元北海産物商社より開商社へ身元金として預け置いた 利金千九十五圓 同五年正月より本年本月一五日迄三十六ヶ月と十五日分 〆 金四千九十五圓 差引 全残金弐萬七千八百三十三円六十壱銭四厘九毛 元北海産物商社より返済すべき分 右の通りである 明治七年十二月十五日(印) 大 阪 裁 判 所 大阪上等裁判所の裁決と各論点についての判断は以下の通りである。 (4)合商違約の控訴(北海産物商社から開商社への控訴)について(資料D) 結論 合商は成立しており、明治五年五月の北海産物商社の閉社まで合商は継続していた。各論点に対する大阪上等裁判所の判断の論理は、第一審よりも明解になったと言えよう。 各論点についての判断 ① 原告は約定書ならびに規則書を被告に差し入れ、被告会社は、書面の通り相違ない旨の証書を原告に渡したのであるから、両社の合商であることは明白である。 ② 原告においては、Y1は北海産物の取扱に慣れていないし、とりわけ本社の事務が繁忙のため原告商社の事務を同社に委託し明治二年一一月一六日(一八六九年一二月一八日)より出張しなかったが、もっとも資本金は引き続き通帳によって受け取っていた、と主張する。被告においては、一時的に合商をしたけれどもY1が出張を差止めた際に合商について断わり、約定書と規則書を原告に返却した、と主張する。被告が合商を断るとの件は、原告商社において知らなかったし、かつまた約定書規則書の返却を請けなかったと主張する。しかし、以上の主張は、証拠がないので総て採用しない。 ③ 原告においては、帳簿取調の義務が原告商社の権限内のことであるのは通商司よりの指令によって明瞭である。ゆえに被告が出張して帳簿の取調又は検印をするしないは被告の自由であるからこの件についてはあえて関係しなかった、と主張する。けれども通商司の指令について、被告は知らないと原告が主張することにより、被告に対する指令であると明瞭には言いがたい。かつ被告の出社を要求することは約定書ではっきりしているから、被告が出社して帳簿を取り調べることについて原告には関係ないことであるとの主張は成立しがたい。しかしながら、約定書の中に検印をすべきとの明文もないので、Y1が出張するのは検査のためであって、取調の義務は専ら原告にある。 ④原告においては、被告会社より貸し出していた資本金は明治三年七月中より拠出しなくなった。それ以来順次 損失が累積したので、北海道へ出張の社員たちが明治五年三月中に帰坂した。その際、損益計算について被告会社に交渉したが、取合ってくれなかった。仕方がないので、被告会社への連絡なしで同年三月中に閉社した。しかしながら、合商の会社を単独で閉社するのは合商の義務を喪失するので、閉社後でも依然として合商が継続しているとの原告の主張は成立しがたい。 ⑤被告においては、北海道支店設立の件についての通商司より原告商社への指令は関知しない。故に被告会社の 事業を委任して支社を設立するという理屈はありえない、と主張する。しかしながら、通商司よりの指令は、原告商社の者が通商会社に付属しているとの心得で出張すべしとの趣旨であって、被告会社の事業を施行するわけではない。かつ北海産物の支店を北海道に設立することは規則中に記載があるところであるから、支店設立の道理がないとの被告の主張は成立しがたい。 ⑥原告においては、大坂裁判所裁決書の中で当座帳に検印がない部分については計算の証に用いてはならないと あるけれども、帳簿取調の義務は専ら原告にあるので、検印がない部分についても計算するのが適切である、と主張する。被告においては、Y1が検印をしなかった部分は、計算上関係がない、と主張する。右は約定書中に帳簿に検印すべきとの明文がない上は検印のない部分であっても証明がある場合には損益を原被で共有すべき条理であるから、関係がないとの被告の主張は成立しがたい。 ⑦ 被告においては、合商が解消したことは、原告より差入れた第一号の依頼書、第二号の借用証文、第三号の年賦証文等によって判然としている。もし合商が依然として継続しているものならば、原告が右証書を差入れ負債の義務を負う訳がない。それだけでなく、第四号証券割済約定書等を差入れたのは合商が解消した証拠である、と主張する。しかしながら、右証書の資本金は発足より原告商社の負債であることは置証文によっても判然としている。よって右証書を差入れたからといって合商が解消したことの証拠にはならない。 (5)貸金並年賦金催促の控訴(北海産物商社から開商社への控訴)について(資料E) 結 論 原告は、昨七年一二月一五日に清算した滞高三一、九二八圓六一銭四厘九毛に現今までの利息を加え、以前に原告商社より差入れた身元金三千圓と右利息を差し引いて滞高を被告開商社へ償還すべし。 各論点についての判断 ①原告においては、被告開商社より借受けて返済が滞っている金額はもともと合商の資本金であるから、合商の 損益と接続して計算するのが当然である、と主張する。しかしながら、右滞金は発足より返済の期限を定めているだけでなく、原告社中が引き受けたことは、置証文によっても判然としている。その上被告第一号より第四号までの証書は、原告社中より差し入れたものであるから、計算の期限がない合商の損益に接続させたとの原告の主張は成立しがたい。 ②原告においては、前条の資本金残額を普通の貸借証文に改定したのは被告会社の依頼によると主張する。しか しながら、右の依頼によるとのことは証拠がないので採用できない。
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