大村益次郎の碑

大村益次郎の碑(全景)大阪市中央区法円坂2丁目1番の上町筋の交差点北西角

大村益次郎は 文政7年5月3日(1824年5月30日)、周防国吉敷郡鋳銭司村(すぜんじ)字大村(現在の山口県山口市鋳銭司)で村医の長男として生まれた。広瀬淡窓の咸宜園に学んだ後、1846(弘化3)年には大坂に出て緒方洪庵の適塾に入った。1年で塾頭となる。幕末維新において軍事指導者としての頭角を現し、明治21869)年7月に兵部大輔に任命され陸海軍の実質上の指導者となり、徴兵制につながる農兵論を唱えた。しかし、94日京都三条で刺客の襲撃を受け、治療のため大阪へ移送された。碑の近くにあった浪華仮病院でボードウィンの手術を受けたが、115日に死去した。かれの農兵論は、山県有朋らにより徴兵令などによって実現されていくことになった。大村は日本陸軍の創始者とされる。

 
 大村益次郎の像(碑の右側にある)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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